【上京体験談 #002】東京で掴んだ漫画家デビュー。ずっとずっと、漫画家になりたかった/長野県出身・おしばなお【#上京】
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上京したい人のために、リアルな上京体験談を発信する上京情報メディア『上京タイムズ』。
今回の #隣のあの人の上京ストーリー の主人公は、幼い頃から漫画家に憧れ、漫画家になるために長野県から上京したという、おしばなお先生です。
これまでメディアでその素顔を見せてこなかった、おしばなお先生。実は、彼女には意外なもうひとつの顔があります。SNSフォロワー数Instagram4.8万人、TikTok7.3万人を誇る【週3日は徹夜お姉さん】こと、モデルの葉直(はなお)さんです。
そう、彼女は漫画家を本業として連載を持ちつつ、モデルとしても活動するという多忙な日々を送っているため、週3日徹夜しているのです。
そんなおしばなお先生は、上京後どのようにして漫画家の夢を叶えたのか。また漫画家を目指す中で、なぜモデルというもうひとつの道が交わったのか。その上京ストーリーに迫りました。
■プロフィール
おしばなお
長野県出身。漫画家を志し、芸大への進学を機に18歳で上京。大学卒業後、アシスタントを経て漫画家デビュー。現在は漫画家として連載を持つ傍ら、モデル・葉直としても活動する。
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幼い頃から漫画を描くことが大好き。漫画家を目指して東京の芸大へ進学。
——現在は漫画家として活躍されていますが、いつから漫画家になりたかったのでしょうか?
私は、物心つくかつかないかくらいの幼い頃から、ずっと漫画家になりたかったんです。小学1年生当時に描いた絵があるのですが、そこにはすでに2人のキャラクターとセリフが描かれていました。
中学生になると、美術部に入って漫画とは違う絵も描いていましたね。絵が長野県展の特選に選ばれたり、文化祭のステージバックやパンフレットになったりと、絵で評価されることが多くなりました。
この頃には漫画の単行本を自分で制作していて、同級生たちや一部の先生も読んでくれていました。思い返すと、漫画家になるという夢が現実的な「進路」として固まったのは、中学生時代だったように思います。
——そこから上京することを決めたのは、どのタイミングだったのですか?
高校3年生で大学を決めるときでした。漫画家になるための勉強をしたくて芸大への進学を希望し、東京の大学か関西の大学かで迷ったんです。京都にも漫画や絵に強い大学があって。
ただ父が東京で単身赴任をしていたので、東京のほうが安心だから東京の大学ならいいよと言われて、最終的に東京の芸大の芸術学部に進学することになりました。
私の高校では就職する子が多く大学受験をするのは少数派でしたが、東京の大学に行くと決まったときは、みんな応援してくれたことを覚えています。
——上京して初めて住んだ街はどこでしたか?
大学のキャンパスが厚木にあったので、最初は神奈川県に2年間住みました。その後キャンパス移動のため東京都内に移り、中野に住んでいました。
——初めての一人暮らしはどうでしたか?
家事ができるか不安だったのですが、やってみると結構すんなりできました。料理もクックパッドなどがあるので、参考にしながら作りましたね。ありがたいことに両親のおかげで生活費の心配はなかったので、本当に感謝しています。
——ホームシックにはなりませんでしたか?
ならなかったですね。大学が忙しかったというのもありますが、やりたいことがいっぱいありすぎて、寂しくなることはあまりなかったです。逆に、今のほうが帰りたくなるときがあるかもしれません(笑)。
——東京の芸大となると、同じ夢を持つ学生が全国から集まって来るわけですよね。高校までの人間関係とはガラッと変化したと思いますが、刺激を受けましたか?
そうですね、わたしはマンガ学科だったのですが、チーム戦ではなく個々人が全員ライバルのような学科だったので、お互いバチバチしながら集団生活を送っていました。
褒め合うようなことはあまりしませんし、気まずいこともありつつ、その中で意識を高め合うような感じでしたね。良い評価をもらっている子を見ると私も頑張ろうとか、こっちの分野では勝ってやるぞ、とか。
思えば、大学生活の中で競い合いの精神のようなものが身についた気がします。
上京したからこそ実現できた、漫画づくしの日々。
——大学時代、アルバイトはしましたか?
しましたね、実は一度がむしゃらに働いた時期がありました。なぜかというと、漫画を描くためのパソコンやiPad、周辺機器のペンなどがどうしても欲しかったんです。
そのために、アルバイトを掛け持ちしていたことがありました。家のすぐそばにあったファミレスや、冬は短期でスキー場で働いたこともあります。
あとは大学時代から、グルメ漫画の連載はすでにしていたんですよね。よくコンビニに売っているようなグルメ系の小さな雑誌があると思うのですが、そのような媒体で描いていました。
——すごいですね!それはどのような経緯で連載に至ったのですか?
ゼミの先生が「この子どうですか?」と出版社の方に推薦してくださいました。それで大学3年生からの1年間ぐらい、大学に行きながら連載の原稿を描きつつ、アルバイトもして……本当に忙しかったです。でも、振り返ると非常に良い経験でしたね。
——大学卒業後は、どのような進路に進んだのでしょうか。就活はしましたか?
大学3年生の8月頃に、漫画家になりたいけれど就職すべきなのか、すごく迷った不安な時期があったんです。そこで就活というか、合同企業説明会のようなものは行ったのですが、結局エントリーはせずに「やっぱり私は漫画で行くんだ」と意思を固めました。
漫画家になるためには通常、コンテストに応募して賞を取らないといけないんです。なので大学卒業後は雑誌の賞に応募しつつ、引き続きグルメ漫画の連載も描いて、プロの先生の現場にアシスタントとして入って学ぶという、漫画づくしの日々を送っていました。
自分のやりたいことをやっているものの、当時はお金がなくて大変でしたね。漫画業界って長時間労働だしお給料も安いしで、結構ハードなんです。午前中から働いて、次の日の朝まで現場にいることもありましたし、お試し期間はお金がもらえないようなケースもあります。
近年、一般企業においてはリモートワークが進んでいたり、法令遵守の意識が高くなったりしていますが、そうではない状況が漫画業界ではまだ全然残っているんです。
——アシスタントにつく先生は、どのようにして見つけるのですか?
一般的には自分で探すパターンが多いと思いますが、私の場合は出版社の編集さんが「この先生につかない?」という感じで紹介してくださいました。
大学卒業後、私は2人の先生の元でアシスタントを経験したのですが、1人目はジャンプでアニメ化していたようなかなり大御所の先生。そして2人目が、私が漫画家を目指すキッカケになったぐらいの、ずっと見ていた先生だったんです。憧れの先生だったので「本当に!?」という感じでしたね。
そうして1年半ほど結構しごいていただいた後に、漫画家デビューに至りました。その経験ができたのも、東京に出て来たからこそですよね。
ついに念願の漫画家デビュー。初めての原稿料の使い道は……。
——どのような流れで漫画家デビューに至ったのでしょうか。
応募した作品が、最終選考まで残ったものの落選してしまったことがありました。そこで「また最初からか……」と落ち込んでいたら、編集さんから「作品を見て絵が気になると言ってくれている原作者の方がいます!」と連絡をいただいて。
原作を読んだらすごく良い作品だったので、ぜひ作画をやりたいという気持ちになりました。人気の原作だったためコンペとなり多数の方が参加したのですが、そこで新人の私が勝ち取ったんです。
そうして連載することが決まった半年後にアシスタントを辞めて、連載準備に入ったという流れでした。
——念願のデビューが決まって、いかがでしたか?
本当に嬉しかったです。ようやくという感じでした。何年かかったんだろう……小学生からだと18年くらいかかっていますね。相当長い下積み時代でした。
でも大学を卒業してからだと1年半ほどでデビューしているので、それでいうとだいぶ早いほうです。なので、すごく恵まれているなとしみじみ思います。
——漫画家デビューについて、周りの反応はいかがでしたか?
両親は、よかったねと言ってくれました。ずっとお金がなかったから、漫画家デビューして初めての原稿料で両親をご飯に連れて行って、報告会をしたんです。
結構良いレストランに行ったのですが、そのようなお店にも関わらず母がかなり酔っ払ってしまって(笑)。そんな思い出もありますね。
地元の友達は、私が漫画家になりたいということをみんな知っていたので、すごいね!叶えたね!とたくさん言ってくれて、嬉しかったです。
自ら行動すれば、道は開けてゆく。
——これまでの東京生活を振り返って、上京してよかったと思うことを教えてください。
東京は本当に刺激が多いので、創作活動をする上ではそのおかげで作品を描けているなと思います。東京に来たからこそ今の編集さんとも出会えましたし、もし上京していなかったら今の自分はないです。
今はアシスタントさんがついてくれているのですが、実は大学の後輩なんです。そうした繋がりも、東京の大学を選んでいなかったらなかったですよね。アシスタントさんがいないと描けないので、すごくありがたいです。
あとは、東京に出てきていなかったらモデルの活動もやっていなかったと思います。
——モデルはどのようなキッカケでやることになったのですか?
大学3年生のときに、長野のミスコンに母が応募してグランプリをいただいたんです。それがYouTubeなどに出て、東京の事務所の方の目に留まってお声がけいただいたことがキッカケでした。
私はもともと見た目がコンプレックスだったので、ミスコンも母が応募しなかったら出ていません。大学2年生の時に初めて東京の美容院で髪切ってもらって、ようやく美意識が芽生えたくらいだったので、東京に出て来なかったらもっと芋っぽかったでしょうし(笑)。
東京に来てこのような活動をするキッカケをくださった、事務所の方にも感謝ですね。
——今後の目標について教えてください。
一番の目標は、作品のアニメ化です。あとは、私にしかできない漫画のプロモーションにも挑戦したいと思っています。一般的に、漫画家は表に出ないイメージがあると思いますし、実情としても宣伝はすべて編集さんにお任せという先生が多いと思います。
しかしその点、私は表に出る活動も地道に続けてきており、認知されてきたところでもあります。モデルのほうのSNSフォロワーは、男性が8割。一方で、漫画の読者の方は女性が8割とファン層が対照的なので、それぞれのファンの方にもう一方の活動も応援してもらえたら嬉しいですね。
グラビアのお仕事についてはどうしても、漫画の読者層である女性からはあまり良いイメージをもたれなかったり、アシスタント時代に紙面に載ったときには「チャラチャラしているならこの業界は向いてないよ」と先輩に言われたりしたこともありました。そのためこれまで、双方の活動を紐づけることは積極的にしてこなかったのです。
しかし、漫画家『おしばなお』も、モデル『葉直』もその両方が自分であり、積み上げてきた大切なものです。今後は漫画家モデルとして、自らが広告塔となって作品をより多くの方に知っていただけたらいいなと考えています。
——最後に、上京したいと考えている読者の皆さんにメッセージをお願いします。
年齢を重ねてから「やっぱり上京すればよかった」と後悔するよりも、上京するか悩むなら若いうちに行動したほうがいいと思います。ひょんなことからとりあえずで東京に出てきて、結局夢も叶っちゃった、みたいな人も結構いるはずです。
若い頃の吸収力って半端ないですし、「若さ」の価値ってすごいですよ。その未熟さゆえに失敗や挫折も多いですが、成長のために手助けをしてくれる大人は、東京にもたくさんいます。そうした若い頃の経験は大人になってからも根強く残って、やがて自身の強みになるものです。
行動すれば、道は開けます。もしそこから動けないのであれば、今はSNSで誰とでも繋がれる時代ですから、ぜひ発信をしてください。あなたが本気であれば、行動したり発信したりするうちに必ず誰かが見つけてくれるはずです。
自分の心に正直に、そしてご縁を大切に。そう思います、漫画みたいですけど(笑)。
おしばなお先生よりお知らせ
講談社にて連載中の『王太子様、私今度こそあなたに殺されたくないんです!〜聖女に嵌められた貧乏令嬢、二度目は串刺し回避します!〜(漫画:おしばなお、原作:岡達英茉、キャラクター原案:先崎真琴)』
最新巻・5巻が、2024年4月30日に発売します!
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単行本1〜4巻は累計50万部を突破!連載はこちらよりご覧いただけます。
https://palcy.page.link/5miK
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おしばなお
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※本記事の情報は、取材当時のものです。