【上京体験談 #004】「やりたいこと」を求めて上京した僕が、情熱を注げる仕事に出会うまで/新潟県出身・山田 真生【#上京】
上京したい人のために、リアルな上京体験談を発信する上京情報メディア『上京タイムズ』。
今回の #隣のあの人の上京ストーリー の主人公は、新潟県から上京した山田さんです。「やりたいことがないと上京する意味がない?」と思っている方も多いかもしれませんが、そんなことはありません。山田さんの上京ストーリーには、むしろ「やりたいこと」がない人ほど思い切って上京したほうがいいかもしれない……と思うエッセンスが、たくさん詰まっていました。
■プロフィール
山田 真生(やまだ・まお)
新潟県南魚沼市出身。1999年生まれ、25歳。高校卒業後、大手鉄道会社に就職し新潟市内で働く。その後、19歳で上京し飲食業に従事。現在はバーテンダーとして渋谷区のBar「Flamingo’s Cocktail Parlor」に勤務する。
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地元新潟の友達と一緒に、19歳で上京を決意。
——まずは、山田さんが上京した背景について教えてください。
高校卒業後は「大手だし安定していそう」という理由で、大手鉄道会社に就職して普通に会社員をしていました。つなぎを着てヘルメットを被って、油まみれになりながら機関車を修理する仕事をしていました。
ただ正直、仕事には1年目くらいで飽きてしまっていて、「このままずっと同じ仕事をやっていてもな……」と常々思っていました。
そのような中で、一番仲の良かった地元の友達と「東京に行きたいね」という話をしていて、1年半ほど働いたタイミングで上京するために仕事を辞めたんです。
19歳という若さもあって「やりたいこと探しに東京行こうぜ」ぐらいの、夢見がちなテンションでしたね。 そこから一緒に上京してきて、最初は1Kの部屋を二人でルームシェアしていました。
——家を借りるのと仕事を決めるのは、順番的にはどのように進めましたか?
まず各々で仕事を決めて、二人の職場から一番近いところで家を決めました。東京での仕事探しも、今考えたらネットで求人を調べて応募すればよかったと思うのですが、お互い本当に無知だったので(笑) とりあえず東京に行ってその場で仕事を探したんですよ。
——その場で!具体的に、どのように仕事を探したんですか?
当時はお金がなかったので、二人でネットカフェに泊まって2〜3日で何とかアルバイトの面接を受けて、受かったところに入ったという感じです。そしたら偶然、二人とも飲食のアルバイトで場所も同じ新宿でした(笑)。本当に、勢いで出てきた感じでしたね。
——上京しようと決めたら、勢いも大事ですよね。私もそうでした(笑)。最初に「上京しよう」という話が二人の中で上がってから、実際に東京に出てくるまでの準備期間はどれくらいでしたか?
3〜4ヶ月ほどでしょうか。退職までの引き継ぎなどもあるので、このタイミングで行こうというのを決めて、残りの有給を利用して東京で仕事探しをしました。仕事が決まってからはトントンと進みましたね。退職して1ヶ月後ぐらいにはもう東京に出てきていました。
——お部屋探しには、苦労しませんでしたか?
実は苦労しなかったんですよ……僕、すごく人に恵まれていて。僕のバイト先の方が、不動産屋さんも、何から何まで紹介してくださって。今思うとちょっと怖いなと思うんですけど(笑)。仕事探しのために出てきた3日間のうちに、家も決まりましたね。
当時僕は新潟で一人暮らしをしていて、家具などもそのとき使っていたものをそのまま持ってくるだけで済んだので、準備といえば引越し屋さんを手配するくらいでした。
——上京準備は順調に進んだのですね!ちなみに、上京すると決めたときのご両親の反応はいかがでしたか?
父はわりと肯定的というか、自由にやりなよという感じでした。父も自由奔放なタイプなので、何も言えなかったのかもしれません(笑)。
母は、親としては寂しいしできれば近くにいて欲しいけど、あなたの人生もあるしね。自分でちゃんと生活しなさいよ、という感じで送り出してくれました。両親の理解もあったので、そこも恵まれていましたね。
コロナ禍で飲食業は大打撃。新潟に帰ろうか悩んだけれど……。
——上京して初めて飲食業に従事した山田さんですが、仕事は合っていましたか?
最初は人と話すのも得意ではなかったので、慣れるまでは少し時間がかかりましたが、徐々に知り合いが増えて居心地が良くなるにつれて、飲食の仕事にハマっていきましたね。休みの日に遊びに行くのも、仕事を通じて知り合った方がほとんどでした。
——仕事を通じて、東京での知り合いも徐々に増えていったんですね。仕事以外での友達とはどのように繋がりましたか?
僕はロックバンドが好きなので、ライブやフェスなどその場のコミュニティで仲良くなることが多かったです。あとはX(Twitter)で音楽好きの方と繋がることもありました。思い返すと、上京してから友達ができなくて困ったことや寂しかったことはなかったように思います。
——友達づくりでの苦労はなかったんですね。逆に、上京してこれは大変だったということはありましたか?
上京して2年ぐらいで世の中がコロナ禍に突入して、飲食業はかなり厳しい状況に陥りました。僕もシフトに入れなくなり、結果的に仕事を辞めることになってしまったんです。そんなときでも当然、生活はあるし家賃もかかります。その期間が一番しんどかったですね。
——その期間はどのように乗り切ったのですか?
飲食業以外の日雇いや短期のバイトで食い繋いでいました。お正月前の期間だったので、年賀状を刷る仕事を3ヶ月くらいやりましたね。当時は「お先真っ暗だな」と思っていましたし、親にも新潟に帰ってきなさいと言われていたので、地元に帰ろうか一番悩んだ時期でした。
でも、僕が帰ったら同居している友達の家賃が2倍になるじゃないですか。加えてその友達も当時は僕と同様の生活をしていたので困りますよね。
——確かに、ルームシェアを解消する場合は家賃負担の問題がありますよね。
そうなんですよ。僕たちは家賃が折半だったから東京に出てきやすかった。しかも、それまではお互い昼夜逆転生活で、あまり家で一緒に過ごすことがなかったので1Kでも暮らせていましたが、コロナ禍で二人ともずっと家にいるようになって、衝突することも増えてしまったんです。
その後、家の契約更新のタイミングでルームシェアは解消して、友達はそこで一旦新潟に帰りました。今はまた東京に戻って来たのですが、当時はコロナ禍ど真ん中のタイミングだったので、仕方なかったなと思います。
——その後、山田さん自身は仕事や住む場所はどうしましたか?
東京に出てきてから初めて正社員の仕事が決まったんです。半年に一度くらい行っていたBarにたまたま行ったときに、「今人手が足りていないから、経験者だし働いてくれたら嬉しい」という感じでお声がけいただきました。
加えて、その方が不動産業もやっていて家も紹介してくださって……周りの人に助けていただいたラッキーだけでここまできています。現在はそこで働いて3年目で、系列店のBarに勤務しています。
——現在のお仕事についてはどのように感じていますか?
それ以前もBarで働いていましたが、みんながこれだけ熱心にこだわり持って仕事をしている環境は、僕にとって初めてだったんです。僕はここで初めて、Barというもののおもしろさや奥深さに気づいて、本格的にバーテンダーとして働いていきたい気持ちが芽生えました。
今のお店で働いてから、お酒やカクテル、Barの文化についてしっかりと学べるようになり、仕事への意識もグッと変化しました。海外のお客様も多いので、お酒だけでなく英語も勉強していきたいと考えています。バーテンダーとしてさらにスキルアップして、ゆくゆくは自分のお店を持ちたいですね。
上京する前は、東京でさまざまな仕事をやってみて、これだという仕事に出会えたらいいなと思っていました。今はバーテンダーという、情熱を注げる仕事に出会えて日々とてもやりがいを感じています。もしあのまま新潟にいたら、この仕事に出会うことはなかったでしょうね。
上京への最初の一歩を踏み出した先は、どんどん駆け足になれる。
——上京してからの生活を振り返って、東京で暮らすことの魅力についてどのように感じていますか?
東京は、食べたいものや行きたい場所など、やりたいと思ったことにすぐアクセスできる街ですね。僕は美術館が好きなのですが、行きたいと思ったら次の休日にすぐ行けます。地方と比べると、東京での生活は圧倒的に経験値を増やせると感じています。
新潟に住んでいたらここに行くためにわざわざ計画を立てて……となるところを、東京にいるとその手順を飛ばしてカジュアルに行くことができる。地方であれば一年かかるような経験を、東京で生活していれば一ヶ月ほどで得られるような体感です。
東京と地方の暮らしでは、あらゆることのスピード感が違います。周りにいる人たちのスピード感も違うし熱量も高い。そのような人たちと話していると、「このままの自分ではダメだ」となるんです。
自分に対しての危機感が常にあって、無理にモチベーションを上げようと思わなくても、勝手に上がらざるを得ない。でも、それがすごく楽しいと感じています。
新潟にいた頃は安定した企業に勤めていたこともあって「5年後の自分はこうなっているんだろうな」というのが、簡単に想像できたんです。
でも新潟から東京に出てきて、5年後の自分がどうなっているのかいい意味でまったく想像できないことが、一番楽しいかもしれません。
——実は私も、その「確定した未来」が怖くて地元を出ることを決意しました。東京にいると日々ワクワクできるし、ここで経験を積んだ自分がどのような未来に向かうのか、とても楽しみになりますよね。
僕の場合は、社会人になってからの新潟での生活も、安定した企業に勤めることも経験した上で上京したので、東京で暮らすことのメリットや地元との違いをしみじみと感じることができています。新潟で社会人生活を経験してから上京してよかったと思いますね。
もし高校を卒業して18歳ですぐ東京に出てきていたら、新潟の暮らしで経験していない部分もあるので「新潟にいたほうが楽しかったかもしれない」と思って、途中で帰りたくなっていたかもしれないです。
——最後に、上京したいと考えている読者の方にメッセージをお願いします。
上京への最初の一歩を踏み出した先は、どんどん駆け足になれますよということをお伝えしたいですね。僕は勢いで上京してきたタイプですが、実はもともとめんどくさがりで物事を後回しにしたいタイプだし、行動力もそんなにないんですよ(笑)。
僕は友達と一緒に上京してきたのでちょっとずるいかもしれないですが、もし一人だったら東京への思いをズルズル引きずったまま、新潟から出なかったかもしれない。
そんな腰の重いタイプの人間でも、一度東京に出てきてしまえば自分のやりたいことに対するハードルがめちゃくちゃ下がりました。新潟にいた頃に「これがやりたい」と“思っているだけ”だったことが、東京に来ると心理的なハードルが一気に下がって、全ての物事に対して挑戦しやすくなりました。
あとは、東京に来てしまえばなんとかなるものです。なんでもある故にコロナ禍でも日雇いで食い繋げたし、生活に困窮することは滅多にないと思います。たとえば今、僕が正社員の仕事を失ったとしても、東京であれば仕事がたくさんあるので、多分そこまで焦る間もなくすぐに次の仕事が見つかると思うんです。
だから、無責任な言葉ではあるかもしれないけれど、意外と「なんとかなる」ものです。ただ「今行こう!」と思ったタイミングを逃さないことは本当に大事だと思うので、上京するか悩んでいるなら絶対に来たほうがいいと思います。
山田さんよりお知らせ
渋谷区のBar「Flamingo’s Cocktail Parlor」で働いています。Classic CocktailとTattoo Artがコンセプトのお店です。ぜひ遊びに来てください!一緒に働いてくれる仲間も募集中です!
【店舗情報】
Flamingo’s Cocktail Parlor(フラミンゴズ カクテル パーラー)
東京都渋谷区桜丘町30-17 103BLDG 1F
https://www.instagram.com/flamingoscp
※本記事の年齢や所属などの情報は、取材当時のものです。